クラッシック音楽の世界で現役のヴァイオリニストであるイヴリー・ギトリス。
彼は95歳になった今でも現役のヴァイオリニストであり、今もコンサートを定期的に行っている元気な音楽家であります。
親日家としても有名であり、2011年の東日本大震災のあとは、毎年日本に来日して、コンサートやチャリティーイベントを行っている功労者の1人です。
今年5月に来日された際に行われた公開ヴァイオリン・マスタークラスで、音楽大学の学生に話をした言葉がとても深く胸に刺さりましたので紹介します。
練習の重要性について...
練習は音符をさらっていくことではありません。
自分が肉体的に、そして精神的にやりたいことを見つけて、それを実現していくためのプロセスです。
練習することで、あなたが何を見つけたいかがわかってくる。
また、練習を続けることで、逆に練習していることを忘れて、自分の創造力を羽ばたかせることができます。
練習は反復ではなく、どのような可能性があるのか考えながら、自分を自由にしていく。
シェフもそうですね。
レシピはあっても、新たにインスピレーションを注いで新たな料理を作ります。
練習とは、自分に何ができるのか、可能性を広げていくためのものです。
技術的な練習ではなく、創造力を育むための練習という意味かな!?と私は解釈しました。
ただ、イメージしたものを実際に演奏できるための技術(スキル)が必要なことは言うまでもありません。
間違えることは恐れたら美しい演奏も生まれない!
今の音楽界では、クリーンでパーフェクトな演奏に重点が置かれています。
レコーディングで少しでも音を演奏し間違えたら、その部分だけを修正することができます。
昔はレコードで聴く音は演奏されたままの音でした。
ティボーやクライスラーでさえも、ミスがそのまま録音されたレコードを残していますね。
クライスラーのレコードで、どの曲かは忘れてしまいましたが、それは誰が聴いても間違いがわかるパッセージがありました。
でも、あまりに素晴らしかったので、これ以上の演奏はないと思ったものです。
間違えろと言っているわけではありません。
歌手が、とても感情が盛り上がって、強く嘆いているシーンで、声が詰まってしまうことがありますね。
でもそれが本当に美しいのです。
間違えることは悪くありません。
ミスを恐れたら美しい演奏も生まれません。
私の職業はヴァイオリニストで、男で、人間です。
私は完全に不完全な人間ですから、間違うことを権利として主張します。
ミスのない完璧な演奏は確かに素晴らしいと思いますが、そこに感情や魂が込められていなければ味気ないものになってしまいます。
機械的な演奏では人の心を揺さぶることはできません。
最後にイヴリー・ギトリスの演奏を紹介します。
アイルランドの民謡である「ロンドンデリーの歌」です。
メロディーが美しすぎてたまらないです。
まだまだ元気そうなので、これからも素敵な演奏を届けてほしいと思います。
追伸
2020年12月24日に老衰のために亡くなりました。(享年98歳)
ご冥福をお祈りいたします。