
2019年に日本で公開された映画『グリーンブック』。
公開当時、私は映画館でこの作品を観て、GHCネットにも感想を書きました。
それから7年。
久しぶりに『グリーンブック』を観直してみました。
映画そのものはもちろん変わっていません。
ただ、前回観たときよりもアメリカの歴史や地域社会について多少なりとも知識が増えたことで、
今回は人種差別というテーマだけでなく、1960年代のアメリカを旅するロードムービーとしても以前より楽しむことができました。
衣装や車、街並みなどから感じられる当時の空気感もいい。
そしてもう一つ。
7年前にはそれほど意識しなかった、家族を養いながら生きていく人間の姿にも今回は目が向きました。
同じ映画でも、時間が経ってから観直すと感じるところは少し変わるものですね。
今回は2019年に書いた感想も残しながら、あらためて映画『グリーンブック』について書いてみたいと思います。
『グリーンブック』は正反対の二人が旅をするロードムービー
物語の舞台は1962年のアメリカ。
ニューヨークのナイトクラブで用心棒として働いていたトニー・リップは、黒人ピアニストのドクター・シャーリーの運転手として雇われます。
シャーリーは高い教養と才能を持ったピアニスト。
一方のトニーは、腕っぷしが強く、言葉遣いや振る舞いもかなり豪快な人物です。
育った環境も性格も価値観もまったく違う二人が、アメリカ南部での演奏ツアーを一緒に回る。
最初に観たときの私は、そんな正反対の二人による珍道中としてこの映画を楽しんでいました。
そして今回観直しても、この二人の対比はやはり面白い。
最初は距離のあった二人が、旅を続けながら少しずつお互いを知っていく。
人種問題という重いテーマを扱いながらも、ユーモアがあり、ロードムービーとして楽しめるところが『グリーンブック』の魅力だと思います。
7年ぶりに観て、1960年代のアメリカが以前より面白く感じた
今回の再鑑賞で以前より強く感じたのが、1960年代のアメリカを旅している感覚でした。
前回観たときは、トニーとシャーリーの関係や人種差別の描写に意識が向いていたと思います。
今回はそれに加えて、衣装や車、ホテル、レストラン、街並みなどにも自然と目が行きました。
ニューヨークから南部へ向かって車を走らせていくことで、同じアメリカの中でも少しずつ空気が変わっていく。
私は以前よりアメリカの歴史や地域社会について知るようになったこともあり、今回はその違いを含めてロードムービーとして楽しめました。
知識を得てから同じ作品を観直すと、以前は素通りしていたものが見えてくる。
再鑑賞の面白さは、こういうところにもあると思います。
社会的地位や才能があっても消えない人種差別
一方で、この映画を観て最も強く感じる部分は7年前とあまり変わりませんでした。
ドクター・シャーリーは、優れた才能と教養を持ったピアニストです。

ところが南部へ行くと、演奏するために招待された場所でさえ、肌の色を理由に扱いを変えられます。
映画では、楽屋として物置のような場所を用意されたり、演奏する店で食事をすることを拒否されたりする場面が描かれます。
ここが今回観てもやはり強烈でした。
どれだけ才能があっても、どれだけ社会的な地位を得ても、それとは関係なく差別されてしまう。
本人の努力ではどうにもならないところで線を引かれる。
現在の感覚から映画を観ていると、その理不尽さをあらためて感じます。
そもそも「グリーンブック」とは何だったのか
映画のタイトルにもなっている「グリーンブック」は、架空のものではありません。
正式には『The Negro Motorist Green Book』と呼ばれ、1936年から刊行された黒人旅行者向けの旅行ガイドでした。
当時のアメリカでは人種差別や人種隔離が広く存在しており、黒人旅行者はどこのホテルやレストランでも自由に利用できたわけではありません。
そこで、黒人旅行者が利用できる宿泊施設、飲食店、ガソリンスタンドなどを探すために使われていたのがグリーンブックです。
今の時代からすると、旅行するだけなのに「自分が泊まれるホテルなのか」「食事をさせてもらえる店なのか」を事前に調べなければならないこと自体、なかなか想像しにくいものがあります。
しかし映画の舞台である1962年には、それが現実として存在していました。
今回この歴史的背景を以前より意識して観たことで、二人が車で南部を旅するという設定そのものにも、前回とは違った重さを感じました。
今回初めて意識した「家族を食わせていく」ということ
そして、今回の再鑑賞で新しく感じたことがもう一つあります。
それがトニーと家族の関係です。
トニーは決して品行方正な人物として描かれているわけではありません。
口も悪いし、ケンカもする。
シャーリーとは何もかもが違います。
ただ、彼には家族がいて、その家族を食べさせていかなければならない。
だから仕事をする。
今回観ながら、以前よりもそこに目が向きました。
映画の舞台は1962年です。
登場人物たちの世代を考えていると、私にとっては祖父母に近い世代なんだなと思いました。
もちろん国も違えば、生活環境も時代背景も違います。
それでも、家族を食べさせるために働くことの大変さは、国が違ってもどこか共通するものがあるのではないか。
7年前に観たときには、私はここまで考えていなかったと思います。
映画が変わったわけではありません。
観ている自分の方に少し違う視点が増えたのでしょう。
『グリーンブック』が公開当時から議論を呼んだ理由
『グリーンブック』は映画として高く評価され、第91回アカデミー賞では作品賞を受賞しました。
一方で、公開当時から作品の描き方をめぐってさまざまな議論があった映画でもあります。
旧記事を書いた当時、私もその点について触れていました。
特に議論になったのが、黒人ピアニストであるシャーリーの物語でありながら、白人であるトニー側の視点が強いのではないかという批判です。
また、映画は実在した人物をもとにしていますが、シャーリーの遺族からは、二人の関係性など映画で描かれた内容について異論も出ました。
こうした背景がある以上、『グリーンブック』をそのまま歴史的事実として受け取るのではなく、実在の人物や出来事をもとに作られた映画作品として観ることも大切だと思います。
その一方で、そうした議論があることと、一本の映画を観て自分が何を感じたかは、分けて考えてもいいと思っています。
私は今回観直しても、トニーとシャーリーが旅をしながら少しずつ相手を知っていく物語そのものには惹かれました。
7年経っても変わらなかった感想と、変わった感想
7年前の記事では、人種や育った環境だけで相手を見るのではなく、違う人間同士が対話することの大切さについて書いていました。
この部分については、今も基本的な感想は変わりません。
ただ、今回の再鑑賞ではそれだけではありませんでした。
- 1960年代のアメリカを旅するロードムービーとしての面白さ。
- 社会的な成功を収めてもなお差別を受けるシャーリーの姿。
- そして家族を養うために働くトニーの姿。
以前より少し広い視点でこの映画を観られた気がします。
同じ映画を観ても、7年前と今では目に入ってくるものが違う。
これは映画が変わったのではなく、その間に自分が経験したことや知ったことが増えたからなのでしょう。
良い映画というのは、何年か経ってもう一度観たとき、その間に自分がどう変わったのかまで映してくれるものなのかもしれません。
『グリーンブック』は、人種差別という重いテーマを扱いながら、音楽とユーモア、そして二人の旅を通して最後まで観られるロードムービーです。
7年ぶりに観直してみて、やはり私はこの映画が好きなんだと思いました。
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