音楽専門学校時代の学びとはじめての東京生活!
私の自己紹介シリーズを時系列で記事にしていたものを久しぶりに再開します。
前回までは、高校生の頃までの学生生活やバンドでの思い出話でした。(遠い昔になってしまいました...)
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今回は、高校を卒業して東京に上京し、はじめての一人暮らしと音楽の専門学校に通っていた頃の思い出話です。
メーザーハウスに入学しました!
私は、高校を卒業したあとは大学には行かずに、東京にある音楽の専門学校であるメーザーハウスに通いはじめました。
この学校は現役のプロのミュージシャンが講師を務めていることで有名な学校で、ヴォーカル・ギター・ベース・ドラム・キーボードなどの楽器も含め、ロック・ポップス・ブルース・ジャズなど多様な音楽を学べる学校でした。
私の1番の目当ては、BOWWOWのギタリストである、山本恭司さんのレッスンを直接受けたいというものでした。
5年前はこんな偶然も〜。
僕と時を同じくしてSYUも右腕を骨折!
滅多にないことなので(あってはならないけど)二人で記念写真を撮りました(笑)
以来自分たちへの戒めとしています☝ pic.twitter.com/YSzU9cU2yz— Kyoji Yamamoto(山本恭司) (@KyojiTWJ) 2018年4月2日
(右図の方です)
もちろんそれ以外にもギターのレッスンやバンドアンサンブルのレッスンがあったり、音楽理論の授業もあったりと文字通り音楽漬けの生活を送れる環境でした。
井の中の蛙だった自分!
大体東京に出てプロを目指す人は、多少なりとも自信を持っているケースがあり、私はその内の1人でしたが、はじめてのレッスンの時に散々思い知らされました。
世の中には上手いギタリストが沢山いると...。(それも同年代で)
自分の実力の程を知りましたし、音楽やギターに対する熱量が高い人たちがいることにとても良い刺激をもらえました。
そして、はじめての東京での新生活にワクワク感と希望で溢れていました。
大体半年位で出席率が半分以下になる現実!
他の音楽の専門学校での実情は知りませんが、私が通っていたメーザーハウスのレッスンでは、徐々に全体の出席率が下がっていき、夏が過ぎると半分以下になり、途中で学校を辞める人が何人かいました。
幸い自分の場合は、ギターや音楽に対するモチベーションはあまり下がることはなかったので、正直言うと少し退屈な「音楽理論」の授業もさぼらずに学校には行っていました。
しかし、名古屋から出てきた田舎もんでしたので、東京での刺激的な都会生活は誘惑だらけで、沢山夜遊びをしていました(笑)。
週末の飲み会やクラブ通い、他の大学とかの合コンとかにも参加したりしてとても楽しかったです。
恐らく自分だけに限らず、東京に出てくる大学生とかが陥る典型的な堕落していくパターンかと思います。
それでも私の場合は、徹夜で遊んでも翌日には眠くてしんどくても学校にはちゃんと行っていました。(5日間連続で徹夜して遊び通したこともありますからね:若いって素晴らしい!)
焦りが出てくる2年生!
専門学校での在学期間は2年です。
両親からも在学中の生活費は工面するけど卒業後は自分で何とかしなさいと言われていたので、2年生になると徐々に焦りも出てきました。
気楽に人生を謳歌できた1年の時とは状況は少し違ってきますが、急にはギターが上達したり、音楽の才能が開花することはありません。
バンドメンバー探しに必死になる!
譜面を読むのが苦手だったし、そもそもスタジオミュージシャンではなく、バンドマンとしてプロになりたかったので、必死になって理想のメンバー探しをします。
コピーバンドではなく、オリジナル曲を作るメンバーを探し、既にあるバンドとかにも加入もしましたが、正直なところ作る曲の方向性がかっちりと合うバンドとは言えませんでした。
なので、この頃からは自分のストックの為にリズムマシンとMTRで大量に作曲をしていました。(機材名が懐かしい)
曲作りをする作業は性分に合っていたので、時間を忘れて没頭することは出来ましたが、この頃のデモテープとかはやはりクオリティーが低いです。
音楽の道は険しいなと痛感する日々!
音楽の専門学校では、途中で辞めていく人がほとんどで残った人も卒業後にいきなりプロになる人はあまりいません。
もちろん、スタジオミュージシャンとして仕事を貰ってくる人もいましたが、ごくトップの一部であり、それも試用期間みたいなものでいつまで仕事があるかはわかりません。
大半の生徒の進路はバイトをしながら音楽活動を続ける道です。
私は割とまじめに学校に通い、課題の提出(オリジナル曲のデモ)もしましたが、専門学校を卒業したあとの進路はアルバイトをしながらの音楽活動でした。
プロのバンドマンを目指していると言えば聞こえはいいですが、ようはただのフリーターです(笑)。
専門学校を卒業したあとは、それまで住んでいた家賃の高い東京都世田谷区では生活ができないので、一気に神奈川県の大和市に引っ越しをしました。
神奈川県の大和市民の方には申し訳ないですが、私は東京から家賃の関係で仕方なく神奈川県に引っ越しをした時の疎外感と空虚感と何とも言えない寂しさは半端ではなかったです。
それでもまだ20歳の頃でしたので、「ここから絶対にのし上がってやるぞ!」と胸の奥では思っていました。
つづく...。