2019年8月1日~10月14日までの約75日間開催予定のあいちトリエンナーレ2019を鑑賞してきました。
開催早々から何かと問題があり、物議を出している展覧会だったので早めに見たいと思い、時間を作って行ってきました。
開催された直後から物議が出たトリエンナーレを鑑賞しました。
視点を変えればどんなものもアートになると思った。 pic.twitter.com/fSttywEYxg
— キングひで@ギターブロガー🎸 (@hidetaka0908) August 7, 2019
会場が愛知県内に4つあり、時間的に私は愛知芸術文化センターと名古屋市美術館の2つの会場の展示会を鑑賞してきました。
音声動画はこちら。
今年のテーマは!?
2010年から始まり、3年おきに開催される芸術祭で今年のテーマは「情の時代」とされ、芸術監督として津田大介さんが選ばれました。
現在、世界は共通の悩みを抱えている。
その源泉にあるのは、先行きが見えず、自分たちが危険に晒されているのではないかという不安だ。
「わからない」ことは、人を不安にさせ、本来はグレーであるものをシロ・クロはっきり決めつけて処理した方が合理的だと考える人が増える。
その結果、世界を対立軸で考えるようになる。
しかし、人間は、守りたい伝統や理念が違っても、合理的な選択ではなくても、困難に直面している他者に対して、とっさに手を差しのべ、連帯することができる生き物である。
今人類が直面している問題の原因は「情」(不安な感情やそれを煽る情報)にあるが、それを打ち破ることができるのもまた「情」(なさけ、思いやり)である。
「アート」の語源には、ラテン語の「アルス」やギリシャ語の「テクネー」がある。
この言葉は、かつて「古典に基づいた教養や作法を駆使する技芸」一般を指していたのだ。
われわれは、「情」によって「情」を飼いならす「技」を身に付けなければならない。
それこそが、本来の「アート」ではないのか。
「技」によって日本のモノづくり産業をリードし、都市であり地方である「愛知」を舞台に、様々な対立軸の中間を考え、「アート」本来の領域を取り戻していく。
(公式WEBサイトより一部抜粋)
写真撮影がOKな展覧会!
会場の中に入って1番最初に驚いたのが、「写真撮影がOKで気軽にSNSなどにシェアをして下さい」と促す注意書きがあったことです。
通常展覧会とか美術館などは写真撮影がNGなことが多いですが、あいちトリエンナーレの会場内ではそういった規制がなく、作品を見る側の「自由」も尊重されていました。
しかし、当日私は、スマートフォンを忘れたまま外出してしまったので、残念ながら1枚も作品を写真撮影できませんでした(笑)。
現代美術の表現方法は無限大!
21世紀を生きているこの世界での現代美術の表現は本当に多彩です。
テクノロジーも進化する一方なので、表現する道具や手段も沢山あります。
はっきり言ってこれはアートなのか?と首を傾げたくなる作品も多々ありましたが、日常の中に潜む芸術に気付く・観察するきっかけとしては、非常に訴えかけてくるものがありました。
あとは割と重たいテーマの作品も沢山あり、世界全体で抱えている問題や課題や闇にも触れることができ、それとどう向き合うかを考える機会としても大変意義があると思いました。
はなす・あそぶ・つくる・もてなす・しらせるというアート・プレイグラウンド!
「みんなで創造性を発揮する」場所として実践型のプログラムが各会場にはあります。
・はなす(Talk)⇒展覧会を見た感想などを語る場
・あそぶ(Play)⇒段ボールを使って自由に遊ぶ場
・つくる(Create)⇒つくることのプロセスを体験する場
・もてなす(Interact)⇒地域に根差した「特産品・商品」などを開発する場
・しらせる(Outreach)⇒トリエンナーレで考えたことや見たことをアウトプットする場
これは大人も子どもも互いに楽しんだり、意見交換などをできる素敵な機会の場所だと思います。
全てを十分に考えながら堪能するには1日では体験しきれないので、また時間を作っては足を運ぶ予定です。
どこまでが表現の自由なのか!?
韓国・北朝鮮関連の作品で開催されてから3日後には展覧することを中止になったものがあり、今でもそれを巡って脅迫電話や抗議文やテロを予告する嫌がらせが沢山あるようです。
この作品に限らず「戦争」を題材にしたものは他にもあり、個人の意見としては「どうしても伝えたいメッセージや見せたいものがあれば表現するべき」だと考えています。
なので、不快・不適切な表現として作品を見せない対応をしたのは少し残念な気もします。
ナイーブな問題ですが、全員に好かれるものはないですし、一部の人に向けた尖ったメッセージ性を含んだ表現がなければ、芸術や音楽などは進化していかないと思います。
答えのない世界を生きる上で、自分なりの答えを模索する良い機会の場なので、こういった芸術祭がもっと身近に感じ、実際に触れることは大切なことだと思いました。